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​事業概要

茶道用炭/囲炉裏・火鉢用炭、グリル用炭/炭オブジェ/土壌改良用炭/

コスメ原料用炭/体験事業

代表者

(おおの・ちょういちろう)

大野 長一郎

株式会社ノトハハソ

代表取締役 / 炭やき

1976年珠洲市生まれ。
22歳で父親が創業した大野製炭工場を引継ぎ2003年に代表就任。
石川県唯一の専業炭やき。

所在地

〒927-1443 石川県珠洲市東山中町ホ部2
TEL:0768-86-2010
FAX:0768-86-2040

​Email:notohahaso@gmail.com

※山林での作業などで、電話対応が難しい場合が多いので、お問い合わせなどは、メールアドレスまでお願いいたします。

​事業沿革

1971年:先代の大野長次が「大野製炭工場」を創業
1999年:大野長一郎が家業を継承
2003年:大野長一郎が大野製炭工場代表に
2004年:クヌギの植林開始(2008年植林イベント開始)
2013年:クヌギの茶道用炭の製造・販売を開始

     ブランド「notohahaso」スタート
2021年:法人化(株式会社ノトハハソへ)
2022年:地震で窯に被害
2023年:地震で工場敷地など被害
2024年:1月の能登半島地震で窯に被害(窯天井の崩落・床に亀裂、工場被害)
2024年:9月の能登半島豪雨で工場付近や植林地にてがけ崩れ被害
2025年:災害に強い「金属窯」の開発、導入

直近の事業スケジュール

2025年8月:金属窯1号基設置
2025年9月:新窯による試験やき開始

2025年12月:新窯によるお茶炭の製造・出荷
2025年1月:火鉢、グリル用炭の製造・出荷
2026年3月:金属窯2号基設置・稼働開始
2026年度:新工場稼働、植林地の復旧工事

受賞歴・認証

2004年:石川県木竹炭生産組合連合会主催「石川県木竹炭品評会」にて林野庁長官賞を受賞
2005年、2007年、2008年:石川県木竹炭生産組合連合会主催「石川県木竹炭品評会」にて石川県山林協会会長賞受賞
2010年:総務省主催「ふるさとづくり大賞」で地域づくり総務大臣表彰
2016年:石川県木竹炭生産組合連合会主催「石川県木竹炭品評会」にて林野庁長官賞を受賞
2017年:大日本山林会主催「農林水産祭」で農林水産大臣賞
2018年、2019年:石川県木竹炭生産組合連合会主催「石川県木竹炭品評会」にて石川県知事賞を受賞
2020年:石川県主催「いしかわエコデザイン賞2020」大賞受賞
2023年:環境省「自然共生サイト」認定

代表メッセージ

生命を繋ぐこと。
人と自然の恵みに感謝して
生きていくこと。
現代の人々が忘れてしまわぬよう
時をかけて山を育てていく。
時をかけて炭を育てていく。
ひとつひとつの仕事が
未来に繋がっていく。
そんな生業と仲間たちと
共に生きていきたい。

株式会社ノトハハソ

代表取締役/炭やき 大野 長一郎

【炭やきヴィレッジ構想】

ノトハハソでは、2017年に「炭やきヴィレッジ構想」を発表しました。

奥能登を、茶道用木炭の産地としてブランド化。その原料となるクヌギが安定的に供給できるよう植林を進め、炭やきを生業とする人を増やしていくことで集落の持続を目指していきます。

災害被害とノトハハソへのご支援

ノトハハソが製造拠点としている石川県珠洲市では、2022年6月19日の地震で工場が被害を受け、翌2023年5月5日の地震では稼働中だった窯の修繕が必要な状態となりましたが、多大な寄付やご協力をいただき復旧することができました。
しかし、2024年1月1日の能登半島地震で復旧した窯の天井がふたたび崩落。同年9月の奥能登豪雨でも工場付近や植林地でがけ崩れなどの被害が発生しています。
炭やきの再開に向けては、災害に強い金属窯の開発にあたって、クラウドファンディングでの支援をいただきました。2026年度内の新工場、新金属窯での本格稼働に向け現在準備を進めています。

皆様のたび重なるご寄付、ご支援、ご協力に深く感謝し、御礼申し上げます。

​ノトハハソ紹介動画

SATOYAMA REGENERATION 能登の炭焼き職人|LUSH ラッシュ
【奥能登に生きる】炭やき職人 大野長一郎さん #2
【奥能登に生きる】炭やき職人 大野長一郎さん #1

樹と共に生きる

© UN University

奥能登について

奥能登は、能登半島の先端部分に位置している石川県珠洲市とその周辺を指します(ノトハハソは、三方を海に囲まれた半島の山中、珠洲市の日置(ひき)エリアにあります)。
半島の先端ならではの変化のある景観や、暖流と寒流がぶつかる漁場、豊かな田畑や森など、人間と自然が永く共生してきました。
田の神様に感謝し家でもてなす伝統的な農耕儀礼「あえのこと」がいまも受け継がれており、「能登の里山里海」は国連食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産(GIAHS)にも認定されています。
奥能登は、かつては大陸との交流や海上交通の拠点としても栄え、日本海側一帯の海の守り神と言われていた「須須神社」(崇神天皇が2000年前に創建)、江戸時代から伝わる祭礼「キリコ祭り」も継承されています。
人と自然との接点が多様な奥能登では、自然からの恵みを受け、生態系や景観を守りながらも様々な生業が生み出されてきました。500年以上前からの伝統技法で造られる「揚げ浜式製塩」、海底に降り積もったプランクトンの殻が堆積して化石となってできた「珪藻土」から造られる「切り出し七輪」、鉄分の多い珠洲の粘土を使用し平安時代〜室町時代の中世日本を代表する焼き物であった「珠洲焼」(1976年に復興)など。
奥能登の自然が生む森林資源を活用し里山を保全し多様性を保つ役割も担う「炭やき」も、そのひとつ。室町時代には良質な炭として知られるようになり、地元の囲炉裏や七輪、火鉢の燃料として、その質を高めてきました。現在では、茶道文化を支える洗練された菊炭をつくりだしています。

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